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文久2年閏8月29日(1862.10.22)
【京】目明し文吉暗殺
【江】朝廷から守護職の職掌を問う書簡が届ぅ

■「天誅」
【京】文久2年閏8月29日、目明し文吉が土佐勤王党によって暗殺され、死体が三条河原に晒されました。

文吉は、安政の大獄時、密偵として活躍しており、またその養女は九条家家臣の島田左近(7月20日に尊攘激派により暗殺)の妾でもありました。文吉は29日夜、自宅から連れ出された上、絞首されて殺されました。

土佐藩士五十嵐敬之の談話によれば、暗殺は土佐勤王党によるものでした。土佐藩武市半平太(瑞山)の宿所において、くじで実行犯を選び、実行犯は清岡治之助・阿部多司馬・岡田以蔵だったそうです。

参考:『徳川慶喜公伝』2、『維新史』(2003.10.24)
関連:■テーマ別文久2「公武合体派排斥・「天誅」

■守護職の職掌
【江】文久2年閏8月29日、幕府は、武家伝奏坊城大納言からの、守護職の職掌を問う同月19日書簡を受け取りました。

文久2年閏8月1日、会津藩主松平容保が京都守護職を拝命しました(こちら)が、朝廷では、京都守護職を新しく設置するという報に接し、武力をもって京都を制圧する策略なのではないかと恐れ、守護職の職掌を質す書簡を19日に発していました。あて先は後見職一橋慶喜、総裁職松平春嶽、老中脇坂安宅・松平信義・水野忠精・板倉勝静です。

参考:『続再夢紀事』一(2003.10.24)
関連:■守護職日誌文久

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