10月の「今日」 幕末日誌文久2 テーマ別日誌 開国-開城 HP内検索 HPトップ
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■「天誅」 【京】文久2年閏8月29日、目明し文吉が土佐勤王党によって暗殺され、死体が三条河原に晒されました。 文吉は、安政の大獄時、密偵として活躍しており、またその養女は九条家家臣の島田左近(7月20日に尊攘激派により暗殺)の妾でもありました。文吉は29日夜、自宅から連れ出された上、絞首されて殺されました。 土佐藩士五十嵐敬之の談話によれば、暗殺は土佐勤王党によるものでした。土佐藩武市半平太(瑞山)の宿所において、くじで実行犯を選び、実行犯は清岡治之助・阿部多司馬・岡田以蔵だったそうです。 参考:『徳川慶喜公伝』2、『維新史』(2003.10.24) 関連:■テーマ別文久2「公武合体派排斥・「天誅」」 ■守護職の職掌 【江】文久2年閏8月29日、幕府は、武家伝奏坊城大納言からの、守護職の職掌を問う同月19日書簡を受け取りました。 文久2年閏8月1日、会津藩主松平容保が京都守護職を拝命しました(こちら)が、朝廷では、京都守護職を新しく設置するという報に接し、武力をもって京都を制圧する策略なのではないかと恐れ、守護職の職掌を質す書簡を19日に発していました。あて先は後見職一橋慶喜、総裁職松平春嶽、老中脇坂安宅・松平信義・水野忠精・板倉勝静です。 参考:『続再夢紀事』一(2003.10.24) 関連:■守護職日誌文久2 |
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